10月2日(日)
私は彼のファンだった。
彼の創るフィルムは、通り一遍のものとは違っていて、
主題となる音楽家の「核」に迫り、
音楽ばかりでなく、その人間像まで
深く、魅力的に描きだしているからだ。
その思いは、グールド、リヒテル、オイストラフなど、
彼の作品を買い求めるごとに増していった。
だから、この3日間のトーク&演奏会に行ったのだったが。
...今は少し複雑な気持ちだ。
そのうちひとつの理由は、
彼の作品は、すべて現実ではないということだ。
グールドの行った録音と同じように、
彼の作品では、
例えば、ネイガウスの声の録音がなかったために、
彼自身がロシア語であとから声を入れた、とか、
オイストラフと話すショスタコの電話の声は
果たして誰だったのだろうか?
会場からでた質問に対し、彼はそれには答えず、
ショスタコの1番の録音を苦労して見つけた話をした。
「人は、つまらない現実より
よくできたうその方をよろこぶんだよ」 という漫画のセリフが
あったけれど、
彼もまた、「現実そのままがいいとは限らない」という。
つまり現実ではなく、ひとつの作品として、彼の作品を
楽しめばいいのだが、
...でもやはり私は、にせものの声は聞きたくない。
知らなかったネイガウスの声、ショスタコの声に感動したのであり、
つくりものなら映画と同じだ。
もちろん、これがすべてではない。
彼の作品は、彼の長年に渡るリサーチの賜物だ。
多分、今後も彼の作品を求めるだろう。
だけど、これこそが知らなくてよかった現実だった。